温故知新!壊れにくく安全な「体温計」ができるまで
世界初の体温計は、17世紀初頭、イタリア人のサントリオ・サントリオによって考案された。彼は人間の身体が使うエネルギー量について研究するため、巨大なハカリに乗って食事と排泄以外は身体を動かさず、摂取物と排泄物の重さを比べる実験を実施。その結果から、じっとしていても人間の身体からは「何か」が蒸発していると考えた。そこで、人が発するもののひとつである「熱」に興味を持ち、体温を数値化できないかと研究を重ねる中で、ガリレオ・ガリレイが発明した温度計に着目。空気の膨張を利用して体温を測定する世界初の体温計を製作したといわれる。
その構造は、蛇行した細長いガラス管の下端を水の入った容器に差し込み、上端に取りつけたガラス球を口に含ませるという単純なもので、体温によって膨張した管内の空気が、水位を押し下げる仕組み。その水位を目盛りで読み取ることで、体温を測るものだった。しかし、当時はガラス管に気密性がないため大気圧の影響を受けやすいうえ、体温計ごとに目盛りをつけるなどの誤差も多く、臨床的意義もあいまいだった。
その後、ドイツの物理学者ファーレンハイトが18世紀初期に水銀を使った華氏温度計を発明。同じくドイツの医学者ウンデルリッヒが臨床的に体温測定を活用し、病気によって発熱の仕方が違うことが明らかになった。それを契機に病気の診断に体温測定が重要視され、正確な測定を目指した体温計の改良が進行。1866年には、熱伝導率の高い水銀を使用した水銀体温計がドイツで開発された。
日本では、山口県防府市の柏木幸助が最初に体温計の製造を始めたといわれる。柏木は、当時の外国製の水銀体温計の「身体から離すと数値が下がる」という欠点を改良し、身体から離しても計測値を表示し続ける水銀体温計を開発するが、当時の外国製品を礼賛する医学界の風潮などに苦戦せざるを得なかった。しかし、第一次世界大戦の影響で輸入品が途絶えると、北里柴三郎が尽力して「赤線検温器株式会社」を設立、良質な水銀体温計が一般家庭にも届くようになっていった。
そして1983年(昭和58)、日本で電子体温計が誕生。電子体温計は水銀体温計の使いやすさを継承しながら、落としても壊れにくく、水銀による環境汚染の心配がないなどのメリットも多く、瞬く間に普及。現在は、耳・舌下・脇など様々な箇所で計測する電子体温計が主流となっている。