温故知新!木材の遊びから発明された「聴診器」
病人の体内に異音があるということは、古代ギリシアの医聖ヒポクラテスによって解明されていた。以来19世紀まで、医者は患者の胸に直接耳をあてて聴診するのが当たり前だった。しかしこの診察方法は、女性には抵抗があった。
1816年のこと、フランス人医師ルネ・ラエンネックは、心臓病の若い女性患者を診察していた。聴診を恥ずかしがる女性患者を目のあたりにして、なんとかできないものかと思案していたところ、往診途中で子どもたちが木材信号で遊んでいるのを目撃したという。木材信号とは、長い棒の両端に立って、片方が棒の端を引っかいた音をもう片方が棒に耳をつけて聞きとる遊びである。そのとき、ラエンネックに天啓が舞い降りた。すぐさま病院に向かい、手近にあった紙束を丸めて女性患者の胸にあててみると、思ったとおり従来よりもはるかに明瞭に心臓の動く音が聞こえた。これが、聴診器の発明の起源だといわれている。
ラエンネックによって研究開発された最初の聴診器は、長さ31㎝、直径3・8㎝の円筒状で、外部からの雑音を遮断するため中心に直径7㎜の小さな穴を開けた木製のものだった。ラエンネックはこの聴診器を使用した聴診法を、従来の直接聴診法に対して『間接聴診法』と命名し、1819年に著書として発表。この約30年後に、日本初の木製聴診器がオランダ軍医によって長崎にもたらされた。
ラエンネックの聴診器には、小さな音が聞きとりにくいことや、短くて使いづらいことなど改良点も多くあった。そこで、ドイツの医師トラウベは、筒状の聴診器をラッパ状にしたものを開発した。これは、長いあいだ単耳式聴診器の原型として広く使われ、エコーが主流の現在でも産科の胎児心音の聴診器として使われることがあるほどの逸品だった。
1829年、胴体の部分がゴム管となって自在性のある動きがとれるようになった聴診器は、1855年にアメリカの医師カマンによって両耳で聞けるように改良された。この聴診器は両方の耳で聞けるため、音が格段に聞き取りやすくなり広く普及した。1926年にはアメリカのスプラーグが、現在の原型ともいえる聴診器を開発した。呼吸音を聞きとりやすい面と心音を聞きとりやすい面を切り替えて使用できるタイプで、これにより心臓と肺の両方の診察ができるようになった。このスプラーグ聴診器の機能を維持しつつ小型・軽量化に成功したのが、1967年に開発されたリットマン聴診器だった。これによって医師はいつでも聴診器を携帯できるようになったのである。
現在も聴診器はできるだけ雑音を減らせるよう、集音部と導管の構造に改良を重ね、音が減衰しないための工夫が凝らされている。体に触れる部分が3つのタイプや、音を10倍以上に大きくして聞けるデジタル聴診器、音を左右の耳で独立して聞けるステレオ聴診器などが次々と開発されている。
画像注釈:ラエンネック聴診器のイメージ画とトラウベ聴診器のイメージ画