温故知新!浣腸器+針でつくられた「注射器」の原型
現在の注射器の原型を考案したのは、フランス・リヨンの外科医シャルル・ガブリエル・プラヴァーズだといわれている。それまでの浣腸器を改良して、先端に中空の針をつけた注射器を発明したのは1851年(嘉永4)のこと。
しかし、この注射器は、内筒に刻まれたネジ山に沿ってハンドルを回しながら薬液を注入するというシロモノだった。片手で操作することができないため、どうしても注入が不安定にならざるを得ず、残念ながら実用性には乏しかったという。
その2年後にプラヴァーズの注射器の欠点を克服して現在の注射器に近いピストン式の注射器を開発したのが、イギリス・エディンバラの開業医アレクサンダー・ウッドである。彼がモルヒネを皮下注射して、世界で初めての局部麻酔に成功したのは1853年(嘉永6)のことで、ちょうど日本ではペリーが来航した年だった。
日本に注射器が伝わったのは、その12年後の1865年(慶応元)で、オランダの医師マンスヴェルトによって長崎に持ち込まれたといわれている。一説によると、江戸時代中期に幕府医官の鍼医・石坂宗哲が、西洋に日本古来の鍼術を紹介したことによって鍼が注目され、プラヴァーズの注射針が開発されたそうで、いわば鍼が注射器となって「故郷に錦を飾る」かたちで里帰りをしたともいえる。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて使用されていたのは、ガラス製の筒に金属製の吸子を組み合わせたレコード注射器と呼ばれるものだったが、やがて煮沸消毒の可能な全ガラス製注射器にシフトしていった。日本でも1900年(明治33)には、生地仙之助と盛林堂(東京神田)が国産初のガラス製注射器を開発した。しかし洋の東西を問わず、注射器はなかなか普及しなかった。
注射器が広まったのは、1910年(明治43)に秦佐八郎とドイツ細菌学者パウル・エールリヒが梅毒の特効薬サルバルサンを開発してからだった。当時、梅毒は不治の病といわれ、なりふり構わず世界中の医師がこぞってサルバルサンの注射療法を採り入れたという。
明治時代は、傘の骨やゼンマイなどを材料に薄い鉄板を製造し、それを丸めてつくったパイプに刃をつけただけの注射針を使用していた。現在のようなステンレス製で継目のないパイプを使った注射針が生まれたのは大正時代のこと。このとき現在シリンジと呼んでいる部分に注射筒という名前がつけられ、注射筒と注射針を合わせて注射器と定義された。
それ以降、注射器は進化を遂げ、医療の現場では欠かせない器具のひとつとして幅広く使用されてきた。1950年代にはガラス製からプラスチック製へと注射器は変遷し、徐々に滅菌済みの使い捨てタイプ(ディスポーザブル注射器)が主流になった。そして今や、蚊の針にヒントを得た、刺したときの痛みがほとんどない極細針の時代が到来しようとしている。
画像注釈:プラヴァーズの注射器イメージ画像(右)と19世紀後半~20世紀初頭にかけて使用されていたレコード注射器のイメージ(左)。