医療の先達「アルベルト・シュバイツアー」「アガサ・クリスティー」
「アルベルト・シュバイツアー」
1875~1965年。当時ドイツ領だったアルザス生まれのフランスの神学者・哲学者・音楽家・医師。「生命への畏敬」を提唱し、現在のガボン共和国のランバレネに渡り、医療と伝道に献身。1952年にノーベル平和賞を受賞した。
アフリカの人びとの医療や教育に半生を捧げ、ノーベル平和賞を受賞した努力と勇気の人、シュバイツアー。その功績は「密林の聖者」「アフリカの光明」と今でもたたえられている。
「医療と伝道に奉仕した聖者」
医師牧師の息子として生まれたシュバイツアーは、家業の一環として宗教学やオルガン演奏などを修学。音楽研究書『バッハ』や思想書『カントの宗教哲学』を著し、パリのバッハ協会のオルガニストを務めるなど、若くして世界的な地位と名声を手に入れていた。
しかし38歳で医学博士になると、医療と伝道に生きることを決意し、安定した身分を潔く捨て去って、ガボン共和国のランバレネに妻と渡海、生涯をアフリカでの医療活動に捧げる道を選んだ。活動資金が乏しくなると、金策のためにヨーロッパでパイプオルガンを弾くなど、終始献身的な医療を続けたことから、「密林の聖者」などと賞賛された。
シュバイツアーが提唱した「生命への畏敬」という人生哲学は、のちの世界平和への下地となり、それら一連の人道的な活動によって1952年にノーベル平和賞を受賞した。
写真提供:インタープレス=共同
「アガサ・クリスティー」
1890~1976年。イギリス南部トーキーに生まれる。晩年まで筆力に衰えを見せず、半世紀にわたって数多くの名作を発表し続けた女性推理作家。代表作は『オリエント急行殺人事件』『そして誰もいなくなった』『アクロイド殺し』などがある。
第一次世界大戦中に病院勤務をしていたアガサ・クリスティー。そのときの経験で培った医学的な知識をもとに、薬などを使った奇抜なトリックで作品を展開し、世界中で愛され続けるミステリーの大作・名作を世に送り出した。
薬の知識を駆使したミステリーの女王
「史上最高のベストセラー作家」としてギネスブックにも認定されるアガサ・クリスティー。ポアロやマープルなどの名探偵が活躍する傑作を長編から短編まで多く手がけ、「ミステリーの女王」と呼ばれる。
しかしそんなアガサも、幼少時には正規の学校教育を受けられず、母親から教養や文章力を学んだ。軍人と結婚後、第一次世界大戦中に、篤志看護隊に志願。看護助手・薬剤師として従軍するかたわら、小説を書き、『スタイルズ荘の怪事件』で推理作家デビュー。以後、全作中における被害者の実に約4割が毒殺によるなど、病院勤務で培った知識と経験を作風に活かした。
実生活では離婚、謎の失踪事件、考古学者との再婚後は発掘旅行に同行するなど、アガサは人生においてもミステリーの女王だった。